紅茶時間

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決断

しばらくここに書くのをやめようと決めました。

いつ戻ってくるかはわからないのですが、もう大丈夫だと判断できたらまた徒然に書き連ねようと思います。





でもその前に少し残しておこうという気もするので、ちょっとやってみます。



最近読んだ小説達には、主要人物が「自分」というものを探したり、なくしたり、「あっちの世界」と「こっちの世界」にいったり、「自分」を分化させているのです。

読み手の私はこれらの分化をちゃんと理解することはできないのですが、なんとか受け入れて読み進めます。

そして一作品読み終わる毎に、あれはどのような分化だったのか、どうして分かれたのか、どうして元の世界に戻ってこれたのか、など漠然と考えるのですが、論証できることはほとんど無く、ただ直感でAという事象とBという人物の内面を結びつけて、自分の心の整理をするのです。

だからか、いつも私は読み終わるととても寂しくなるのです。

物語を把握できない寂しさではなく、物語の中ではある程度完結したであろう登場人物の内面が、私にとっては完結してないままでずっと残っている故の寂しさなのです。

それと同時に直感的に物語の何かを私が捉えた時、その何か自体が寂しさなのかもしれません。

どちらであろうと、どちらでなくても、とにかく寂しさが残るのです。


物語の中で登場人物はよく分化します。分化というより、彼らの内面を暗喩した世界が表現されているのかも知れませんが、とにかく「こっちの世界」と「あっちの世界」があったり、今まである人物の中にあった「何か」が消えてしまったりします。

読書の休憩中、私は自分が嘗て分化した時は、私は私と別の存在でもあったけど、どちらも「こっちの世界」に属していたのだなと思いました。

結局分化しても片方の私は「あっちの世界」で物事を処理したり、「あっちの世界」の誰かを助け出したり、誰かに助け出されたりしないのです。

結局私の分化は単なる現実逃避で、これらの物語はフィクションなのだ、とも思いました。

だけど、本質は違うけど、でも、やっぱり、私は分化した物語の登場人物に、自分を重ねているのです。彼らに感情移入しているという事実を差し引いても、彼らを読んでいると寂しさが残る気がします。

今の私は分化してません。どんなに不快な感情があったとしても、私は私が存在しているという事実(おそらくこれは事実なはずです。これを否定したら私は全てを失います。)に支えられて私を分化することをしなくなりました。

ただし、今度は自分の存在以外と上手くつきあえなくなってきた気がするのです。


だからここに書くのをしばらくやめようと思います。

その間、もう何度か物語達を読み返して、彼らと自分の違いと共通点を見極めて、何かを捉えられたら、また帰ってきます。

帰ってきたら昔みたいに、日々起きたことをぽそぽそと書き留めるんじゃないでしょうか。




さてもう言語として表せるものは表した気がします。

なんと言っていいか難しいのですが。


また会う日まで。

ごきげんよう。


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shiitan

Author:shiitan
大学M1生。雑貨やガラス好き。ジャズクラブでウッドベース弾いてます。

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