紅茶時間

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ビール

最近家で一人缶ビールというのを週一か二でやっております。

学部3回生の頃までビールなんて何が美味しいんだと思っておりましたが、だんだん好きになってきました。

そんなだったら一人で飲まず誘えよと色々な方々(6月にお誘いいただいた方々)に言われそうですが、飲んでも(夕飯込み)その後、パソコンに向かったり文献を読んだりしないと発表に間に合わないので、「飲み会」にまで発展できないのです。


もうね、毎日くずし字を読んでパソコンに入力することに飽きてきましたよ。(そもそも今更くずし字云々という段階なのが遅い。)


全部自分が悪いんですけどね。

準備し始めるのがおそいとか、古語のパソコン入力がおそいとか

そもそも詞書のない絵巻を卒論の題材にしたもんだから、源氏とか和歌とか漢詩とかを勉強するのに必要な知識が全然ないんですね。

たぶんね、日文の授業に限って言うなら、学部四年間分くらい頑張ってる気がしますよ。

それだけやってこなかったというか、今必死こいてるというか。



で、ビールを飲んじゃう訳ですが、これが続くと良くないだろうなぁとは思うんです。運動してないから。


さらに悪いことに、飲むとその晩はもう、色々やる気がなくなってきます。

でも今日はもうちょっと頑張ります。
(もともと一缶じゃたいして酔わないから、文字の読み違いはしません。)



源氏のばーかばーか
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ヤヒョーエネズミの発表は一段落しました

自分なりに色々勉強しようと思って、学会を聞きに行ったり、勉強会に出たり、なんやかんやしてる訳ですが、段々追いつめられてきました。

まだ発表までに2、3週間程猶予があるのですが、結構焦っております。

ぐったりして帰宅します。

でもどんな分野であっても大変な時は大変なのだ、とみんなのブログを読んで思いました。



今日久しぶりな後輩と出会いまして、ちょっと立ち話をしました。
なんでも彼女も院に行くらしく、ちょうど一年前の私と似たような精神的プレッシャーを追っているようでした。

学問領域が違うので適切なアドバイスは出来ず、がんばれとしか言えないけど、彼女が自身の進みたい道にいけることを祈る気分です。




あの子も院に来たらこういう生活をするのかなぁ。

その道

さっきまで色々書いてる途中だったのですが、なぜか全部消えました(ページの有効期限云々)。
下書きにも残っておらず、もうやる気がなくなりました。



最後に付け足すつもりでいた文面は以下の通りです。

「ということで、最近本を読んでいるのですが、視力が落ちてきました。とても残念なことです。」





もう今日はこれで終わり!

開窓

しばらく書かないって宣言した割に、早く戻ってきました。


自分とは何なのか?自分の向かう先は何なのか?どこに向かいたいのか?

などと考えていました。そしてここに書かないという宣言は一つの意思表示だったわけです。

今書き出したからと言って、これは全てが解決した証拠ではありません。答えのでない問いは沢山残っています。

でもまあ、それは全人生懸けて(掛けて)考えていけばいいかと思ったのです。

最近読んだ本はこんな文章で始まっていました。


「往々にして私達は自意識は過剰であるが自覚には乏しく、また時にそのようなあり方が反省されても、自己反省によって真の自己に徹し難い。たまたま生を享けてこの世界にこのように存在している私達の真のあり方はどこに求めらるべきであろうか。」     『十牛図』 上田閑照・柳田聖山 著


まだ最初の方しか読んでいませんがおもしろいです。



家でずっと物を考えていたときと比べ、だんだん色々な人と話すようになってきました。

学部時代からの友人達、先輩、院に入ってから知り合った先輩、同期生。


今日は久しぶりに表具屋さんにお邪魔して、絵巻作りを始めました。
2年前のインターンシップの頃より、手際が良くなったと褒めていただいて嬉しかったです。
これもバイトの成果でしょう。



当たり前ですが、自分の内に籠もっていては駄目なのだと改めて実感しました。
(自己を見つめる=自分の殻に籠もる、ではない)



最近読んだブログにこんな内容のことが書いてありました。

自分に対して自信がない、不安な状態であったら、

刀を抜け、と。


もちろん暴力的に振る舞え、という意味ではなく。

自身の不安に対して向き合え、と。




私もだんだんそんな気になってきました。

決めました。

今年一年のうちで、何かしら論文書きます。

雑誌に載るかは分からないけど、それを目指すつもりで頑張ります。





これからもよろしくお願い致します。

決断

しばらくここに書くのをやめようと決めました。

いつ戻ってくるかはわからないのですが、もう大丈夫だと判断できたらまた徒然に書き連ねようと思います。





でもその前に少し残しておこうという気もするので、ちょっとやってみます。



最近読んだ小説達には、主要人物が「自分」というものを探したり、なくしたり、「あっちの世界」と「こっちの世界」にいったり、「自分」を分化させているのです。

読み手の私はこれらの分化をちゃんと理解することはできないのですが、なんとか受け入れて読み進めます。

そして一作品読み終わる毎に、あれはどのような分化だったのか、どうして分かれたのか、どうして元の世界に戻ってこれたのか、など漠然と考えるのですが、論証できることはほとんど無く、ただ直感でAという事象とBという人物の内面を結びつけて、自分の心の整理をするのです。

だからか、いつも私は読み終わるととても寂しくなるのです。

物語を把握できない寂しさではなく、物語の中ではある程度完結したであろう登場人物の内面が、私にとっては完結してないままでずっと残っている故の寂しさなのです。

それと同時に直感的に物語の何かを私が捉えた時、その何か自体が寂しさなのかもしれません。

どちらであろうと、どちらでなくても、とにかく寂しさが残るのです。


物語の中で登場人物はよく分化します。分化というより、彼らの内面を暗喩した世界が表現されているのかも知れませんが、とにかく「こっちの世界」と「あっちの世界」があったり、今まである人物の中にあった「何か」が消えてしまったりします。

読書の休憩中、私は自分が嘗て分化した時は、私は私と別の存在でもあったけど、どちらも「こっちの世界」に属していたのだなと思いました。

結局分化しても片方の私は「あっちの世界」で物事を処理したり、「あっちの世界」の誰かを助け出したり、誰かに助け出されたりしないのです。

結局私の分化は単なる現実逃避で、これらの物語はフィクションなのだ、とも思いました。

だけど、本質は違うけど、でも、やっぱり、私は分化した物語の登場人物に、自分を重ねているのです。彼らに感情移入しているという事実を差し引いても、彼らを読んでいると寂しさが残る気がします。

今の私は分化してません。どんなに不快な感情があったとしても、私は私が存在しているという事実(おそらくこれは事実なはずです。これを否定したら私は全てを失います。)に支えられて私を分化することをしなくなりました。

ただし、今度は自分の存在以外と上手くつきあえなくなってきた気がするのです。


だからここに書くのをしばらくやめようと思います。

その間、もう何度か物語達を読み返して、彼らと自分の違いと共通点を見極めて、何かを捉えられたら、また帰ってきます。

帰ってきたら昔みたいに、日々起きたことをぽそぽそと書き留めるんじゃないでしょうか。




さてもう言語として表せるものは表した気がします。

なんと言っていいか難しいのですが。


また会う日まで。

ごきげんよう。


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shiitan

Author:shiitan
大学M1生。雑貨やガラス好き。ジャズクラブでウッドベース弾いてます。

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