紅茶時間

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世界

この数日間、大学がインフルエンザ騒ぎで休講となった。

大学に立ち入り禁止だったので、授業関連の資料を研究室に置いていた私は様々な発表準備を放棄する気になった。

且つ倦怠感と決して37.5度を超えない熱を懸念し、一二度、食料等を買い込む以外は外に出ず家で寝ていた。



嘗て、感じることと考えることが大学生の本分だ、という言葉を知人から又聞きしたが、この数日間はまさにそれを体現したようなものであった。

それと、必要以上の睡眠時間も付け加えられる。

寝るか食べるか本を読むか、ネットでとある御伽草子を調べるか、のどれかで時間は過ぎていった。


たいてい活動時間は夜間で、一晩一冊のペースで本を読み、蛍光灯を消してから寝付くまでの間、本の感想を頭の中で並べ、日本文学研究の意義について考え、6日あった夜のうち半分くらい大泣きして朝、寝付いた。


同じ歳の者から見たらなんたる愚行かと思われそうだ。実際自分でもそう思う。


この数日間が今後の人生にどう影響するか分からないが、数週間後の自分が授業の発表準備で苦しむ姿だけは容易に思い浮かべられる。



ただ、ひたすら本を読むこと、ひたすら泣くこと、ひたすら寝ることを私は欲していたのだろう。




この数日、自分が感じて、考えたことを文章に起こしてみたいという気に何度もなった。

しかしその度に、自分の感情とその感情が起因する出来事を言語で表そうとすれば、それはとてつもなく簡素なものになってしまうことがわかっていたので今日まで何もしなかった。

この文章もまたありきたりで平凡なものなのである。



もし自分の体内にある渦を他者に、明確に、伝えようとするならば、その人間の前でひたすら泣くしか他ならない気がした。

だが泣かれる側としたら、なぜ私が泣くのか全く分からないだろう。


永久に思いは一方通行である。


この問題にはきっと何かしら良い解決方法があるような気がするが、今日はもう書くのを辞めようと思う。





今回読書していて好きになった台詞の一つ。

「ドーナツの穴を空白として捉えるか、あるいは存在として捉えるかはあくまで形而上的な問題であって、それでドーナツの味が少しなりとも変わるわけではないのだ。」
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私が小学生の頃、稲取に行くと祖父は「勉強もしろよ」と言いながらサザエさんの単行本をくれた。


もっと祖父に色んな昔話を聞かせてもらえば良かった。


職人を引退するまでの祖父は厳しい人だったと両親は言った。お前の前では好々爺だったけどな、と。


最近になって私も少しずつ、モノをわかっていく年ごろになったのに。


祖父が遺した物から、祖父の修業時代がどんな風だったかを勉強したいと思っても、祖父が買い集めた絵の由来を知りたくても、それを直接語る人は居ない。



自分の将来の為、自分の好奇心の為でもあるけど、「勉強しろよ」って言われたのがあるから、今は一生懸命「勉強」するのだ。

それを土台にいつか私は「研究」する人になるかもしれないし、祖父のように職人として生きるかも知れない。また違う道もあるかもしれない。



どうなるかわからないけど、ともかく明日はバイトがあるから、祖父の机から勝手にもらってきた細い細い筆を使ってみようと思う。

きっと糊を細かい部分に付けるのに便利だろう。


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shiitan

Author:shiitan
大学M1生。雑貨やガラス好き。ジャズクラブでウッドベース弾いてます。

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